昨日、ある人の話を聴いた。
一度だけの人生
思い切り生きようという内容だった。
素晴らしい話だったし
納得できることも多かったんだけど
どうしても納得できないところが
ひとつあった。
それは
目一杯生きた自分の人生の最期に
人に対して 『思い切り生きたぞ、どうだ!』
と、胸を張って言えるようにしようという
結論に対しての反発だった。
人に対して
『どうだ』ということは
結局、虚栄心や自己顕示につながってしまうんじゃないのか。
人生の最期にその気持ちを持つということは
人生の結論を虚栄心や自己顕示に結びつけてしまう。
それじゃ、せっかく目一杯生きたというのに
自分で自分の人生をおとしめることになるんじゃないんだろうか?
そんな反発だった。
「マイ・ウェイ」という歌がある。
人生の最期に
自分の人生は素晴らしかったと振り返る歌だ。
「私には間違いもあった
だけど後悔はない。
なぜなら
心のままに思い切り生きたのだから。」
概ね、そんな内容なのだが
この歌を大変好む人と
とても嫌がる人がいる。
大抵、好むのは
いわゆる成功者と呼ばれる人たち。
対して嫌うのは
成功者を冷静に見つめている人たち。
(決して失敗者とは限らない)
『思い切り生きたぞ、どうだ!』
と言える生き方をしようと言っていたのは
やはり成功者だった。
成功とか成功者を
どのように定義付けるかで、この意味は大きく変わってくる。
どちらが正しいとか間違いとか
それも一概に決めることはできないと思う。
個人的には「マイ・ウェイ」は好きではないけど・・・
思い切り生きることも
自分の心に素直に生きることも大切だと思う。
だけど
最期に『どうだ!』とは言いたくない。
できれば静かに、そして心から
『ありがとう、ごめんね、許してね、愛しているよ』と
その時そばにいてくれる人たちに言いたいと思う。